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広島原爆投下の日。
66年前の今日、広島市に原爆が投下されました。

多くの人に多大な苦しみを強いたこの出来事を、決して風化させてはならないのは被爆国として当然のことと思いますが、今年は福島第一原発の事故もあり、放射能の脅威について、一層考えさせられる年となりました。

私は中途半端に身軽な身なので(夫婦二人暮し、それほど若くは無い)、放射性物質に関しては気にしすぎない生活を心がけていますが、66年前に多くの人が苦しんだ事実がある以上、放射能の毒性や、原子力が人間を不幸にしてきた歴史からは目をそらせてはならないと思います。

気にしすぎず、かといって、決して甘く見ない。
ですね。
私のスタンスとしては。


ただ、原発事故後からネットで色々調べものをしていて気になったのですが、原爆投下に関心を持ち、放射能がもたらした不幸の歴史を真剣に考えている人が、今、どのくらいいるのでしょう。

4月に川崎市が震災で発生した瓦礫の受け入れ表明をした際には、ネット上のあちこちで賛成派と反対派が論争を繰り広げていましたが、賛成派の意見の中に
「広島・長崎の人だってあれだけの放射能を浴びたのに、生まれた子供には何の影響もなかったのだから、災害の瓦礫ぐらいで影響はないでしょう」
というものがあったり
(即座に小頭症の説明レスがつきました)

長門裕之さん訃報の際、過去の出演作品の話題で少し盛り上がってきたところに
「子役のときに出てた、阪妻版の無法松マジオススメ。
他の出演者に被爆した人もいてタイムリーだしねw」

という書き込みを見かけたり…
(個人的には、これ書いた奴を本気でぶん殴りたい気持ちでした)

上記のような書き込みは、特にネット上の多数意見というわけではありませんけれど、今、学校の授業では原爆投下のことをどれくらい扱っているのかな…?と、一抹の不安を感じてしまいました。
そういった意味でも、原爆投下は語り継がれるべき出来事であり、私たちのように戦争を知らない世代にとっては、当時の人たちの痛みを考える貴重な機会だなと。


原発事故がらみで、私もあれこれ考えたり、ささやかながら行動を起こしたり、少なからずショックを受けたり、色々ありました。
今後、政府の出方もどうなるやら…という感じですが、ただ、国民が放射能の脅威に晒された経験という繋がりにおいて、原爆の被爆者の苦しみは決して無駄にしたくありませんし、して欲しくありません。
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2011/08/06(Sat) | ネット以外で思うこと | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
コメント
--NoTitle--

今朝は、市の拡声器から「黙祷を捧げましょう」という放送が流れました。何年経っても、忘れてはいけないと思います。
林京子さんという、長崎で被爆された作家さんがいるのですが、著作の中で原爆について「どう思われてもいい、忘れなければそれでいい」とような趣旨のことを書いておられて、重い言葉だなと思いました。どう思うか、の前に「忘れない」ということ、すべてはそこからなのかもしれません。
by: nine * 2011/08/06 15:37 * URL [ 編集] | page top↑
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>nineさん

大災害の被害を受けた当事者にとっては、筆舌に尽くしがたい苦悩に苛まれ、その記憶は心の奥に封印してしまいたいと思われるのも無理のないことと思います。

林さんのように、封印したくなるような辛い経験を広く伝えんとする志はとても尊いものですし、私たち知らない世代にとっては、その勇気に感謝してもしきれません。

そして、林さんたちの志をきちんと受けとめるのが、知らない世代の義務だなと思います。
by: Lumines * 2011/08/07 18:05 * URL [ 編集] | page top↑
--NoTitle--

私の誕生日は8/14なんです。だから、毎年誕生日の頃にはテレビでも黙祷が続きます。小さな頃からそれがとても嫌でした。
成人してから広島の原爆資料館を訪れ、原爆の恐ろしさを実感しました。
勝てるはずのない戦争を延々と続けた人々
恐ろしい爆弾であることを知りながら投下した人々
人間というものは本当に愚かな生き物なのだと思います。
毎年、この頃になると日本が悪いのか、米国が悪いのかという論争の番組が放映されますが、広島や長崎の過酷な犠牲の結果に今日を迎えている我々がなすべきことは、二度とそれを繰り返さないために出来ることをするということでしかないのだと思います。
私は多分、自虐史観論者に属する人間なのだと思いますが、他国の非を問うよりもまず自国の誤りを正し、なすべきことをなすということが第一なのではないかと、単純にいつも思います。
記念碑に刻まれている「二度と過ちは繰り返しません」という文言の主語は誰なんだと論争する人がいますが、そんなことは自明の理で、日本人ひいては人類が主語であるという結論以外に何があるのかと、いつも疑問に思います。
戦争を知らない世代の私達こそが、もっと真剣にストレートに戦争を見つめ直し伝えていかなければならないのでしょうね。
by: 福童 * 2011/08/09 09:41 * URL [ 編集] | page top↑
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>福童さん

実は私の母も今日が誕生日だったりします。
口に出したことは一度もありませんが、恐らく誕生日が訪れるたび、複雑な気持ちになっているかも知れません。


外国の意見として
「原爆は、いつまでも戦争を終わらせようとしない日本に対するゲンコツのようなもの」
「日本だって核を持っていれば、原爆を落とされずに済んだのでは?」
といったものを見かけたことがあるのですが、落ちた結果を知る国である以上、過ちを繰り返さないためにも、価値観のぶつかり合いを恐れずにNOを言い続けるのが日本の責務かな、と思います。

ここのところの国際情勢も気がかりですが、どんなことがあっても日本が常に自国の誤りに目を向けられる国であって欲しいです。
正直、他国に対して思うことも色々ありますけれど、他国を必要以上に叩くことが自国にとってプラスになるとは思えませんので…
by: Lumines * 2011/08/09 11:31 * URL [ 編集] | page top↑
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