スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | page top↑
2011年度を振り返ってみる。
本当は昨年末に書きたかったのですが、書けなかったので…。

2011年といえば、言わずと知れた東日本大震災、それに伴う原発事故が発生し、日本が大きな国難に見舞われた年でした。
しかし個人的にはもうひとつ、大きな出来事があったのです。


思えば昨年の震災発生時、義母(関西在住)から数度電話で励ましていただき、その後、原発事故の影響で関東沿岸でとれた小魚はそろそろ…という時期に、いかなごのくぎ煮を送ってくださいました。
(ちなみに、西の方も揺れていたことを知ったのは、ミヤネ屋さんではなく義母の電話からでした)

そう。
ちょうど昨年の今頃までは、義母は元気だったのです。

しかし、梅雨が明けたあたりで「入院した」との情報があり、お見舞いに伺ったところ、予想していたよりも良くない状況で、お医者様はハッキリとした表現を避けていらっしゃいましたが、数年前に発症した癌が再発し、既に治療困難であると…。

それからは大体、月に1~2度ほどの頻度で関西に足を運び、
「桜は厳しいかもしれないけど、椿と梅の花はご一緒に眺められれば良いなぁ」
ぐらいの気持ちでいたのですが。
師走に入って病状が急激に悪化し、親族が代わる代わる、頻繁に看病をする状態となり、夫と私も、それこそ週末は関西で過ごしているような感じでした。

最期の日々はどう表現していいか分かりませんが…
私にとっては、もっともっとご一緒に過ごしたい気持ちと、早く苦しみから開放されて欲しい気持ちが交錯した複雑な日々でした。
そして、クリスマスが過ぎ、年明けを目前にして、義母は旅立っていきました。

葬儀の後、義母の読んでいた本や書類等を整理していたら、
再発がわかった時点では治癒を目指すべく、希望を捨てなかったのだろうと。
そして、余命の短いことを悟ると、なるべく遺族に負担をかけない最期を模索していたのだろうと。
そういった心の動きが見えてきて、体は病んでしまっても最期まで心根は強い人だったなぁと改めて感じさせられました。


昼ドラや女性向け漫画にありがちな「嫁姑戦争」のような関係にならなかったのも
生まれも育ちも関東な私が、夫関係の親戚(ほとんど関西人)と波風立てずお付き合いさせていただけたのも
義母の尽力によるところが大きいと思います。
本当に、ありがとうございました。

今は別の世界の人になってしまいましたけれど、時折はバカ嫁を見守っていただければ…と思います。


以下、ほんのちょっと追記です。

実は義母の看病中、かねてから原発事故の悪影響を過度に誇張した発言をする人物がtwitter上で
〇〇(※関東某所)在住の義母が福島由来の被曝により発ガンした。俺の予想通りなら1ヶ月もたんと思う。
と発言しているのを見て、腸が煮えくり返る思いをいたしました。
(現時点では、原発事故由来だと否定もできないけれど、ハッキリ言い切ることも出来ないと思います)

以来、明確な根拠もなく危険を主張する向きには冷ややかな気持ちでおります。
スポンサーサイト
2012/03/30(Fri) | 自分語り・日常 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
コメント
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://nasuyolumi.blog43.fc2.com/tb.php/339-c69aedfe
前のページ ホームに戻る  次のページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。